「こんなところで、何をやってるのかと思えば」
背後から声をかけられた瞬間、白い尻尾がぴくりと動いた。
「それ、あいつがよくやってる遊びだろ。面白いのか?」
「うん!面白いのですよー!」
一瞬の間。ひと呼吸ほどの沈黙を追って、黒髪の少女がくるりと振り返る。
表情にはとりわけ気負いはない。
声の主へ目線を向けながら、手元では間断なくコントローラのボタンを操作している。
「さたぴーに貸してもらったばっかりですけど、たぶん今夜にはクリアできるのです。あたしが終わったら遊びますか?えっと……」
「葉月。高森葉月」
「じゃあはーちゃん!こういうの遊んだことないのですか?」
「ない。あとその呼び方辞めろ馴れ馴れしい。」
モニタから響く電子音以外、音らしい音の聞こえない部屋。
扉を開けてすぐ、絨毯の上に腰を下ろして相手を見つめる。
完全にこちらへ振り向いた少女は、一旦遊びを中断することにしたようだ。
細い指がコントローラのどこかを叩いた瞬間、あれほど賑やかしく動き回っていたキャラクターが、
凍りついたかのように画面の中で動かなくなる。
「邪魔か?」
「いいのですよ。ゲームはいつでもやり直せるのです。
かまってほしい誰かがいる時は、そっちに行ったほうがいいってさたぴーが言ってたのです」
「……あたしは別に、構ってもらうために来たんじゃないぞ」
「そうなのですか?」
不思議そうに見つめてくる瞳には、どこか無下にできない雰囲気があった。
清潔な瓶の中にたっぷり詰まった黒蜜を思わせる、不思議な色あいの眼差しだ。
「お前、ねここ……とか言ったか」
「あたしはねここ!名字はまだない!
だからねこちゃんでもねこぴーでも、気軽に呼んでほしいのですよ!」
「いらん。面倒臭い。」
「あうー……」
自分のそれよりも格段に柔らかそうな猫耳が、黒髪の合間でぺたん、とへこたれる。
スカートと床の隙間に覗く尻尾は、浜辺に打ち上げられた魚のように力を失っていた。
清々しいほどに素直――というより、感情が顔に出やすいたちのようだ。
そういう性分の人間と付き合うのは、決して嫌いではないが。
(……まあ、いいさ。あたしはあたしの生き方でやるだけだ。
それにこいつが付いてこようがくるまいが、そんなのは知ったことじゃない)
「ええと……ああ、そうだ。下の部屋で、すふぃーたちがお茶を入れてたぞ。
さたどらも一緒にいたけど、お前は飲みに行かないのか」
「うーん。ちょっと考えたけど、やめといたのですよ」
「何故だ。」
「んと、末莉ちゃん、ちょっとつらそうな顔してたです」
肩口から、さらりと滑る黒髪。口元に指の先を当てながら、白い猫耳の少女が記憶を辿る。
先ほどまでの消沈した様子は、もうどこにも見当たらない。
絨毯に投げ出した脚のすぐ横で、しなやかな尻尾がぱたぱたと揺れている。
「それがお前の行動とどう関係があるんだ」
「末莉ちゃん、ああいう顔してる時は、たぶんなにか悩んでることがあるのですよ。
そういう時、一番ちゃんと話を聞いてあげられるの、すふぃーちゃんだと思うのです。
それに美紗ちゃんもさたぴーも末莉ちゃんとは付き合い長いし、しっかり慰めてあげられるかなーって。
だからあたしは遠慮しておくですよ」
「お前、見かけと違ってけっこう殊勝なんだな」
「見かけと違うってのは余計ですよー!」
じたじたと脚をばたつかせて怒る姿に、ほころびかけた唇を押しとどめる。
微笑みを浮かべる気になれない原因は、とっくの昔にわかっていた。
わかっているからこそ余計に、笑顔など作れはしない。
心のどこか深い部分に突き刺さった過去は、きっと、己の手で捨て去ってはならないものなのだから。
「どうかしたですか?はーちゃん」
「……その『はーちゃん』ってのはさておき、じゃあさっさと寝ればいいだろ。風呂はとっくに済ませてるみたいだし」
「んー、んっと。でも、今行くと、みーちゃんと姫子ちゃんに悪いから」
「あの姉妹?何かしてるのか?」
「してるっていうか、その、だいじなお話してたみたいだから。なんだか、割り込む気になれなかったのですよ」
「……まったく。どこもかしこも、いい時間だってのに」
おおかたの性格は掴めてきた、と、話しながらぼんやり思う。
このねこことかいう新入りは何も考えていないようでいて、その実、それなりに周りを良く見ているのだろう。
悩みを抱えた友人がいれば話しやすいように環境を整え、
姉妹水入らずの状況を見れば心地よい時間を少しでも長く保たせようとする。
それで暇潰しをどうするか考えた挙句、ひとりでゲーム三昧というわけだ。
「まあ、状況はわかった。ただ、末莉と澪の行動は不可解。二人とも、落ち込むようなタマじゃないだろ。」
「そうですね。普段だったら、たぶん、揃ってしょげたりはしないですけど……今日は、大変だったから」
「大変?昼に聞いた、異世界とか勇者とかの話か?」
昼過ぎからばったり姿を見せなくなった家主が、再び目の前に現れたのはとうに日も沈んだあとのことだった。
末莉と澪とねここ、三人の少女とともに戻ってきた彼は、妙に疲弊しきった顔つきだったのを覚えている。
こちらが話しかける前から凄まじい勢いで話し始めた内容は、何やらひどく混乱したものだったが
――思い出してみると確かに、それはどこかのお伽噺のような、壮大な冒険譚だったような気がする。
「あたし達は、本当に異世界に行っていたのです。証拠は何もないから、はーちゃんに信じて貰えるかはわからないのですが。」
「ふーん。なるほど、その異世界とやらで、何か思うところがあったんだな」
「あたしの話、信じてくれるのですか?」
「お前とあいつが揃ってあたしを騙そうとしてるなら話は別だが、
見たところ付き合いの浅い人間に平然と嘘をつくほど、底意地悪くなさそうだし、最初から疑う理由もない。」
「……えへへ」
はにかむ少女の頭上で、白い獣耳がぴくぴくと揺れる。怒ったり、気落ちしたり、笑ってみたり、本当に目まぐるしく変わる表情だ。
「あいつと一緒にいると、そのうち多少のことじゃ驚かないようになってくる。お前もすぐにわかるだろう。」
「あいつって、さたぴーのことですか?」
「他に誰がいるんだ?」
首を傾げた少女の肩越し、モニターの中で光点がまたたく。
はるか空の彼方から地上を見下ろすような画面は、神の手が動き始める瞬間を待っている。
そういえば少し前に、家主が遊んでいるのを見かけたことがあった。
その時は当人がだいぶ熱中していたから、邪魔になる前にさっさとその場を離れたのだが。
……何だって今日は、あいつのことばかりこんなに思い出してしまうのだろう。
「行き場のない子どもを、猫の子でも拾うみたいに六人も七人も養えるやつだ。
いい加減に見えたって、なかなかできん。付けあがるからあえて言わんがな。」
「……はーちゃんは、やさしいですね」
「あ?」
聞きなれない言葉を耳にした気がして、うろんな視線を相手に向けた。
白い猫耳の娘はなぜか、少し嬉しげな表情をしている。
とりわけ相手を喜ばせるようなことを言った覚えはないのだが、何がそんなに気に入ったのだろうか。
「ゲームのやりすぎだ。バカなこと言ってないでさっさと寝ろ。」
「うーん。そうですね……」
そうしようかと思ったのですけど、と。古びたロムカセットに手をかけ、ゲーム機の電源を落としながら彼女は振り向く。
人懐こそうな雰囲気の顔は、仲間を見つけた仔猫のように、どこか心安らいだ表情を湛えていた。
「……あたし、ほんとは対戦ゲームとかもやってみたいなって思ってたのですよ。
……それで、もし、もしはーちゃんが、こういうの嫌いじゃなかったら……」
「嫌いって言ったら、絶対泣くだろ」
「な!こ、この、ゴッドハンドと言われたねここの腕をバカにしているのですね?」
「ふん、どうだか。仕方ないから、ちょっと相手をしてやろう。後悔して泣きべそかくなよ。」
「望むところなのです!初心者が相手だからって、あたしは手加減しないですよー!」
新しいロムカセットをゲーム機が呑み込み、にぎやかな光と音が室内にあふれる。
丸い猫耳をぴんと立て、画面に集中し始める相手を見ながら、ふと、胸のどこかを風が吹き抜けていくような心地よさを感じていた。
――こういう日々にはまだ、慣れない。
慣れないが、きっと、悪くない時間には違いない。
重い過去により表情を失った少女と、同じく重い過去を背負いながらも、朗らかに今を生きる少女。
対比的ですが、色々ありつつもなんだかんだで仲良く(?)やっている二人。
そんな彼女達の慣れ始めが描かれてます。
本作は、ツイッターの星見るクラスタで知り合った、デスおかめさんの手によって描かれたものになります。
管理人とは比べものにならない描写力を持っておりまして、「ああ、これがテキストなんだ……」と感じます。
というかウチが書いてるのはテキストじゃねえ。
他にも何作か頂いておりますので、随時アップしていこうと思います(*´ω`*)
本作の時間軸は、DQ3(第18回プレイ日記)での冒険を終え、現世界に帰還した直後になります。
常にムスッとしたような表情で口調もきつく、寂しがり屋にも関わらず何処か他人と距離を置きたがる面もある葉月。
他の子達も、彼女との接し方には苦労したでしょう
そんな彼女の心に一石を投じたのは、ユッキこと雪野ねここという人物だと思います。
どんなに悪態を付いても懲りずに接してくる人物。おそらく今まで見たことのないタイプでしょう。
葉月の口からもたまにゲーム関連の話題が出てきますが、大体彼女の影響です。
1歳年上である彼女を、同列若しくは下程度に見ている所もありますが、
一緒にいることが多かったりするので、居心地はけして悪くないのでしょう。
(余談ですが、葉月の方が僅かに長身だったりします。)
葉月が再び笑顔を見せる日が来るかはわかりませんが、
ユッキならあるいは……と思ってしまったりします。
どうなることでしょうねえ。